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第208回

2014.09.12

nt毛利家0912住吉蒔絵箪笥 写真は、「二十一代集」を納めた箪笥です。「二十一代集」とは、平安時代から室町時代にかけて、勅命により編纂された勅撰和歌集の総称です。江戸時代には必須の教養の一つとして、婚礼道具に必ず添えられたといいます。

 

この箪笥は、二十一代集の箪笥にふさわしく、和歌の神とされる住吉社が蒔絵で描かれています。また、毛利家の家紋である「沢瀉(おもだか)」だけでなく、徳川家の家紋である「三つ葉葵」も描かれています。中身が婚礼に必須の「二十一代集」であることに加えて、両家の家紋を同時にあしらう意匠は、江戸時代の婚礼道具に特有のものですから、これはどうやら、毛利家に、徳川家から嫁いできた姫君の婚礼道具だったことは間違いないようです。

 

箪笥の意匠や、家紋の様子から、江戸時代後期以降の婚礼で用いられたもののようです。江戸時代の後期に、徳川家から毛利家に嫁いできた姫君といえば、七代藩主毛利重就(しげたか)の嫡男治親(はるちか)に嫁いだ徳川吉宗の孫節姫(ときひめ)、十代藩主毛利斉煕(なりひろ)の子斉広(なりとお)に嫁いだ徳川家斉の娘和姫が挙げられます。

 

両者のうち、どちらの婚礼道具であるかは、残念ながら決め手を欠きます。ただ、どちらについても、毛利家にとっては、江戸時代の初期に、徳川家康の孫(秀忠の養女)喜佐姫が初代藩主毛利秀就に嫁いで以来、久々となる将軍家からの輿入れであり、記念すべき快挙でした。

 

田中誠二氏によると、両姫君の舅となった重就・斉煕は、いずれも「規模」と呼ばれる、毛利家の家格の上昇を、積極的に試みた藩主だといいます。将軍姫君の降嫁は、こうした運動の成果であったと考えられます。

 

ただ、この家格上昇は一方で、姫君の御殿新造など、長州(萩)藩に少なからぬ負担を強いたとされます。この家格上昇の意図や功罪については、まだまだ検討の余地があるようです。