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第206回

2014.08.29

nt毛利家0829脇差拵 写真は、毛利元就が用いたという脇差(わきざし)の拵(こしらえ)です。総体を黒塗とした、過剰な装飾の一切見られない、戦国武将元就ならではの、質実な逸品だとされます。

 

刀身は、無銘ですが、その特徴から、三原物だろうと考えられています。三原は、備後国と安芸国(広島県)国境付近に位置する港町ですが、戦国期には刀匠集団が居住し、活発に作刀を行っていたようです。

 

沼田(ぬた)川の河口部に開けた三原の町は、桃山時代には元就の三男小早川隆景の本拠地とされ、小早川水軍のための水城が築城されることでよく知られています。隆景築城以前の様子はよく分からないのですが、備後国の在地領主木梨杉原氏や、小早川氏の勢力が早くから浸透していたようです。また、内陸部を本拠とする毛利氏にとっても、上方方面に通じる重要な拠点と認識されていたようです。

 

港の重要性に早くから着目した元就は、大内氏に協力して、太田川の河口部を所領に加えます。その結果、緑井を本拠とする福井氏や、八木を本拠とする香川氏など、太田川と瀬戸内海の接点となる地で、水軍として活動していた勢力を配下に加えるとともに、自らも川内(かわのうち)水軍と呼ばれる、直属の水軍衆を育成します。

 

毛利氏と織田信長との戦争は、天正四年(一五七六)、木津川河口において、毛利水軍が織田水軍を華々しく打ち破ることで、火蓋が切って落とされました。このときの戦果を報告する軍忠状には、能島・因島・来島の各村上氏、小早川支配下の生口氏・乃美氏、宇喜多支配下の富川氏と並んで、毛利氏の直属水軍である児玉就英や、香川広景らがその名を連ねています。

 

毛利氏の水軍は、周防大島から備前児島にいたる、瀬戸内海西部すべてを網羅していました。毛利氏はこの水軍力をフルにいかして、初期の段階では織田信長の勢力を圧倒したのです。