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第205回

2014.08.22

nt毛利家0822毛利元就軍幟 写真は、毛利元就が戦陣で用いたという旗です。もともとは縦長の流れ旗だったようですが、現在は下部が失われて短くなっています。

 

絹の上から、墨で、黒々と毛利家の家紋「一に三つ星」と、「八幡大菩薩」以下の軍神の名を書き連ねています。全部で三流残されていますが、いずれの家紋も稚拙で、図案化が進んではおらず、元就時代の旗に間違いなさそうです。

 

所伝では、厳島神社の神衣を用いたといいますが、白の綸子で、地文様として、厳島神社の神紋である亀甲文を織り表していますから、おそらく所伝のとおりなのでしょう。

 

厳島神社は、もともとは、厳島そのものを信仰対象とする小さな神社だったようです。平安時代に平清盛が篤く崇拝して以来、信仰の対象を広げたようです。元就のころには、安芸国(広島県西部)内最大の神社として、安芸国全体の崇拝を受けていたようです。また同時に、海上交通の神としても、瀬戸内海を利用する諸商人や水軍衆などからの崇拝も集めていたようです。

 

元就は、大内氏と決別するにあたり、いち早くこの厳島を占領します。経済面からも交通面からも、この地は重要であり、真っ先にこの地の回復を目指した陶晴賢を、元就が撃破したことは、よく知られているとおりです。また神社の有力者棚守房顕は、元就と一心同体の働きを遂げて、毛利氏の中国制覇に協力しました。この旗も、こうした元就による篤い厳島信仰と、房顕との蜜月ぶりを示すものなのでしょう。

 

後世の馬印とは異なり、それほど目立つ旗ではありませんが、この旗を元就が高く掲げることで、毛利方将兵の意気が挙がったことは、容易に想像がつきます。こうした、精神的な部分が、中世の戦争にどれほど影響したか、まだよく分かっていません。ただ、元就がこうした人の心も知り抜いた武将だったことはまちがいないようです。