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第202回

2014.07.25

nt毛利家0725大江広元像 写真は、毛利家の祖、大江広元(おおえのひろもと)の肖像画です。江戸時代の末期に、想像で描かれたもので、実際の広元を描いたわけではありません。日本の肖像画には珍しく、正面に向けて描かれています。深く刻まれた皺に、長く伸びたひげ、手には巻物を持ち、実在の人物というよりは、まるで神か仙人のような描かれ方です。

 

大江広元といえば、守護地頭設置の発案や、朝廷との交渉など、源頼朝を助けて、鎌倉幕府草創に活躍したことでよく知られています。また、承久の乱における、後鳥羽上皇の挙兵を耳にすると、「治天の君」上皇自らの挙兵にたじろぐ幕府首脳の中で、ただ一人、しかも文官でありながら、軍事的な対決を主張し、幕府を勝利に導いたことでも知られています。

 

また、『古今著聞集』には、広元の祖、大江匡房が、かの八幡太郎源義家に兵法を教えたという記事が載せられています。

 

こうした話は、いずれも伝説で、必ずしも真実とは限りませんが、少なくとも広く信じられていたようです。

 

毛利元就は、大江広元所用の鞭を家蔵の宝物の中から探し出して、氏神宮崎八幡宮に奉納しています。また、しばしば息子たちへの手紙の中で、漢の軍師張良の兵書のことに触れていますが、これもまた大江氏伝来の兵書として、元就が大切にしていたもののようです。

 

大江氏といえば、朝廷で歴史や政治を教授する文章博士を輩出し、学問の家として知られています。また、広元のように行政に手腕を発揮した人物が出たことから、実務官僚の家と考えられています。確かにそのとおりですが、元就が、大江氏の子孫であることを強調した背景は、むしろ「兵法の家」としての大江氏の性格に注目し、自らや子息たちが、匡房・広元以来の優れた軍事的才能を引き継いでいることを、広く示したかったのではと思われるのです。