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第185回

2014.03.28

毛利家絶対な基本形半5_cs6 写真は、毛利家伝来の「有職雛(ゆうそくひな)」と、お雛さま用の食器「雛膳具(ひなぜんぐ)」です。雛膳具には、毛利家の家紋「沢瀉(おもだか)」が蒔絵で描かれ、まるで本物の食器のようで、さすが毛利家、という逸品です。

 

この雛膳具、これが婚礼道具を模したものだとすると、通常は婚姻を行う両家の家紋が記されることが普通です。ただ、毛利家の場合、幕末期の敬親・元徳の正室は、いずれも毛利一族出身でしたから、このような毛利家の家紋のみの道具が作られたのかもしれません。

 

古来より婚姻は、身分の貴賤を問わず、家と家との繁栄を目指して、政略的に行われることがよくありました。なかでも、本来戦闘集団であった武士にとって婚姻は、軍事的な盟約の証として、とりわけ重視されていました。婚姻の成功は、両家の絆を強くし、より強い軍事集団を生み出すだけでなく、そこで生まれた子は、まさに両家の利害と未来とを一身に担う存在となりました。一方、婚姻の失敗は、両家の決裂、平和の終了を意味していました。両家の家紋を婚礼道具に記し、その強い結合を象徴的に描こうとする行為は、戦乱期のこうした強烈な記憶がなせる技だったのかもしれません。

 

家の繁栄を前提に考えますから、場合によっては同族内での婚姻や、姻戚が何度も婚姻を繰り返すこともありました。毛利元就が、代々の仇敵宍戸氏に次女を嫁がせて和睦し、北側の守りを固めたことはよく知られています。厳島合戦の直前に生まれた元就の孫輝元は、いわば生まれながらの戦国大名でした。大友氏など他の戦国大名から正室を迎えることもできたのでしょうが、輝元の妻に選ばれたのは、宍戸家に生まれた元就の孫、輝元にとってはいとこにあたる女性でした。何代にもわたって婚姻を繰り返して信頼を醸成しなくては、謀叛や離反に対応できない時代、それが戦国時代だったのです。