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第184回

2014.03.21

nt毛利家140321雛道具 これは、お雛さまの婚礼道具である「雛道具」です。およその大きさが一〇㎝~二〇㎝と、やや大ぶりの雛道具です。すべての道具は、やや赤みがかった黒漆を地塗として、金箔で唐草文様と、家紋としての「沢瀉(おもだか)」を描いています。また黄銅で作られた金具にも、唐草と沢瀉が毛彫で彫り表されています。

 

こうした家紋が描かれた雛道具は、一般に、婚礼道具の雛形と考えられています。その考え方に従うならば、この雛道具も、誰か毛利家に嫁いできた姫の所用品だと推測されます。

 

通常、婚礼道具の雛形であれば、婚姻を交わす両家の家紋が、象徴的に描かれますが、この雛道具には、毛利家の家紋である沢瀉しか描かれてはいません。婚礼道具の雛形であるはずの雛道具としては、やや異例に属します。ただ毛利家の場合、斉元・敬親・元徳の三代については、毛利一族内部から正室を迎える、いわゆる同族婚でしたから、彼女らの所用品と考えれば、一応つじつまがあうのです。

 

道具の残り具合、保存状況から鑑みて、江戸時代をかなり下る時期のものかと思われます。したがって、斉元室美和姫の所用品ではなく、幕末期の当主敬親室の都美姫(とみひめ)、もしくは元徳室の銀姫、いずれかの所用品ではないかと推測できます。

 

『もりのしげり』によると、敬親の正室となった都美姫は、十二代藩主斉広(なりとお)の娘でしたが、形としては、養子として家を継いだ敬親とは義理の兄妹にあたることから、そのままでは結婚できなかったのでしょう、一族の子として幕府に届け出され、婚儀を進めたそうです。斉広の血脈を重視する施策とはいえ、あまりにも複雑かつ不自然で、なにか政治的な背景でもあったのかと勘ぐりたくなるほどです。実のところをいえば、敬親に限らず、江戸時代歴代の家督相続に関しては、必ずしもその経緯や意義がはっきりしているわけではないのです。