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第181回

2014.02.28

nt毛利家140228舞楽図 写真は、平安時代に記された『栄花物語』の一節、藤原道長の正室倫子(りんし)還暦の祝宴の場面を描いたものだそうです。寝殿造(しんでんづくり)の建物の端、軒廊から見えている、参列した公卿や女房衆たちのきらびやかな衣裳に、舞人や随伴している随身たちの華麗な衣裳、池に浮かべられた豪華な船や、池の水などが、色も鮮やかに、伝統的な大和絵の技法で細かく描かれています。

 

作者は住吉広行、大和絵をもって幕府に仕えた住吉派の当主として江戸時代後期に活躍した絵師として知られています。この絵は、その箱書から、萩(長州)藩の八代藩主毛利治親に輿入れした、田安宗武の五女節姫(ときひめ)が、表道具とするために作らせたものだとわかります。直接の制作目的は不明ですが、縦八三センチ・横一四四センチもある大きな掛け軸ですから、かなり大きな床の間に掛けるつもりだったのはまちがいないようです。

 

現在残されている、節姫が萩藩江戸麻布下屋敷に居住していた頃の絵図を分析した宮崎勝美氏によると、節姫が暮らした「東御殿」の奥向には、通常の奥御殿より立派な式台・対面所が設けられ、そこからは、節姫が、毛利家に嫁いでもなお、将軍の孫娘として、他の女性よりも丁重に遇されていたことがわかるそうです。

 

彼女が毛利家中において、どのように振る舞っていたかは定かではありません。ただこの掛軸、現在毛利博物館に残されている掛軸のうちでも最大級のものです。また、箱書とはいえ、制作の経緯が記されているのも、実は滅多にない大変珍しいことなのです。こうしたことから推測するならば、毛利家としても彼女を「将軍家の姫」として遇する一方、彼女もまた「将軍家の姫」であることを自覚し、振る舞っていたのではないでしょうか。ただ、「将軍家の姫」を迎えた毛利家が、それによって何を得たのかは、今後分析が必要のようです。