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第174回

2014.01.10

nt毛利家140110日の丸軍扇 写真は、毛利家の「正月飾り」の一つ、「日の丸軍扇」です。この扇は、通常の扇に比べてやや大ぶりで、毛利元就が戦場で用いたとの伝承があります。

 

はたして本当に元就のものかどうか、その時代の遺例が少なく、判然としません。ただ、この扇が、「御佳例吉甲冑」の付属品として伝来した事実を鑑みると、残念ながら、元就時代のものではない可能性が高いように思われます。

 

さてこの軍扇、表は金地に日の丸、いかにも正月にふさわしいおめでたい意匠ですが、裏は銀の三日月という、一風変わった絵柄になっています。それぞれの面は、昼と夜を表し、その表裏を翻すことにより、意図的に日を進めて、悪日を吉日に改めることができると考えられていたようです。なかには、この軍扇を軍師の持ち物とし、軍師が戦陣に際し、悪日を吉日に替え、必勝を期するための道具であったと推測している人もいるようです。

 

こうした人たちは、謀将として著名な毛利元就ですから、こうした軍師の軍扇くらい、所持していて当たり前だと考えているようです。謀将としての元就の印象は、江戸時代の軍記物によって形作られた、いわば虚像ですから、こうした単純な図式はあてはまりません。

 

ただ、元就の遺品の中には「張良の軍書」というものもあったようです。これは現存しませんが、長男の隆元や、孫の輝元が筆写したその写しを見る限りでは、現代人からしてみれば、陰陽道なども駆使した、かなり怪しげなものだったようです。

 

合理的で緻密な戦略を練る戦国武将の元就が、こうした「怪しげな」軍書や、軍師たちの、「怪しげな」戦法を、どこまで信用し、実践していたかは疑問です。しかし、元就がこの軍書を、大江氏伝来のものとして、事有るごとに喧伝していたのは、事実のようです。元就もまた中世の人でしたから、合理的思考とまじないが、頭の中で同居していたのでしょうか。