山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第173回

2013.12.27

毛利家絶対な基本形半5_cs6 写真は、毛利家の「正月飾り」の中心をなす「御佳例吉甲冑(ごかれいきちのかっちゅう)」です。毛利元就の所用とされ、毛利家を飛躍させた元就所用の伝にふさわしく、子孫繁栄を意味する胴の瓢箪唐草文様や、上昇を意味する佩楯(はいだて)の日の丸など、いかにも正月を言祝ぐにふさわしい姿かたちをした甲冑です。

 

しかしよく見るとこの甲冑、あきらかに兜と面頬(めんぽう)、籠手(こて)、佩楯は大人用ですが、肝心の胴は子供用です。しかも作風としては明らかに桃山時代風で、とても明応九年(一四九七)に生まれた元就の幼少期のものとは思えません。どうやら、後世の人々が、めでたい意匠の、古そうな具足をとりあえず組み合わせて、元就ゆかりと称したようです。

 

そのあたりの事情は、今となっては知るよしもありません。ただ、幼少期の元就については、確実な記録や遺品が少なく、後年の活躍ぶりに比して、謎が多いことは事実なのです。

 

元就が、幼少期に父母と死別して苦労したことや、朝日を拝んで念仏を唱えることなど、幼い時期に獲得した宗教的な習慣、家督を継承した後、一族や家臣団と血みどろの争いを繰り広げたことはすべて、元就が、長男の隆元や、次男の元春、三男の隆景に語った書状の中に記されている事ばかりなのです。軍記物に記されている元就の前半生が、信じるに足りないことはいうまでもありませんが、私たちが元就の前半生として理解していることの大部分も、この元就の告白を元にしているのですから、一〇〇%信じてよいものか、実は注意が必要なのです。

 

元就の半生は、不明なことが多く、それ故に後世の人々が記した軍記物には、適当なことを記す余地が生まれがちです。巷間に流布している元就像には、こうしたあやふやな記述の影響を受けたものが少なからずあります。しっかりとした元就の前半生を描くこと、これは案外大変な作業ですが、今後地道にやり遂げるしかありません。