山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第172回

2013.12.20

nt毛利家131220獅子舞図 写真は、最近あまり見ることも少なくなりましたが、正月の風物詩としておなじみの「獅子舞(ししまい)」の図です。獅子舞は、獅子頭(ししがしら)と呼ばれる、多くは木製の、獅子の頭をかたどったかぶり物を頂き、福を願って踊る、いわゆる予祝の舞のことです。

 

この絵は、大庭学遷(おおばがくせん)という、幕末から明治にかけて活躍した絵師が描いたものです。北川央氏によると、この絵に描かれている獅子舞は、伊勢太神楽(いせだいかぐら)と呼ばれる、伊勢神社の教えを広めるため、大道芸を披露しつつ各地を巡った、伊勢神の使いを描いたものとのことです。しかも、獅子舞ほか、放下師(ほうかし)など、戯芸者の姿が実に正確に描かれている、きわめて珍しい絵だということです。

 

そもそも仏教や神道は、教義的には難解なことも多く、儀式そのものも、本来は厳かであるため、一般の庶民にとって、必ずしも親しみやすいとは言い難かったようです。そこで、前近代の大きな宗教組織は、難解な教義をわかりやすく教え、庶民にも親しむことができるように、こうした、いわゆる大道芸で人々を楽しませ、それぞれの教えを広めることがあったようです。

 

神社などで、全国を行脚して信者を獲得し、参拝に訪れた信者の宿泊・参拝を世話する人を、御師(おし)と呼びます。伊勢や熊野の御師は、頻繁にこの中国地方にもやってきていたようです。群雄が割拠し、経済封鎖などが盛んに行われていた戦国時代においても、全国的な信仰を背景に、彼らの往来に関しては、各大名とも比較的寛容だったようです。

 

むしろ大名やその家臣たちは、彼らとの交渉を通じ、各地の様々な情報を集めることにも余念が無かったようです。このあたりの事情は、あまり明らかではありませんが、一つの判断間違いが領国崩壊につながりかねない戦国時代、大名や有力武将は、ありとあらゆる方策を用いて情報収集に努め、思いのほか広域な情報をつかんでいたようです。