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第171回

2013.12.13

nt毛利家131213伝統の正月飾り 毛利博物館では、秋恒例の特別展「国宝」が終わると、早々と正月の装いに替わります。

 

この写真は、毛利家伝統の「正月飾り」です。毛利元就が用いたとされる「御佳例吉甲冑(ごかれいきちのかっちゅう)」、元就が戦陣で用いたとされる「日の丸軍扇」、初代の萩藩主毛利秀就が朝廷から拝領した「御重代太刀(ごじゅうだいのたち)」に、福原貞俊ゆかりとされる「御佳例盃」を組み合わせたものです。

 

毛利元就は、いわずとしれた、毛利家を中国一の大大名にのし上げた人物です。毛利秀就は、初代萩藩主として、江戸時代における毛利家の基礎を作った人物、福原貞俊は、元就の孫輝元の補佐役として領国経営にも参画したことのある、重要な人物です。江戸時代には貞俊の子孫が、代々一門や益田家とともに、萩藩家臣団の頂点を占めていたことはよく知られています。

 

この「正月飾り」は、毛利家にとって誠にめでたい「佳例」の品々を組み合わせ、創業以来の栄光を追想するとともに、毛利家の繁栄と永続への願いを込めたものだといえます。

 

さてこの「正月飾り」、江戸時代に萩城内、もしくは江戸の屋敷の床の間に飾られたものだと、漠然と考えられています。ところが、江戸時代の藩主は、まさに分刻みのスケジュールで正月の行事をこなしていました。場所も「御座之間」であったり、「大広間」であったり、別のどこかであったり、さまざまな場所を、行ったり来たりしていたようです。残念ながら、それらの記事に、床飾りまでは言及がなく、この「正月飾り」がどこに、どの行事で、どのように飾られていたか、実のところは、あまりよくわかっていないのです。

 

江戸時代の儀礼は、戦前に毛利家で行われていたことが、江戸時代を通じて行われていたと考えられがちです。しかしながら、細かなところは案外わかっていないのです。それら一つ一つを解き明かし、儀礼から江戸時代の藩政を理解することは、これからの課題のようです。