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第170回

2013.12.06

毛利家131122半5_2 さて、毛利博物館きっての至宝、雪舟が描いた「四季山水図(山水長巻)」の、年に一度のお披露目もあと数日、今年の見納めも近づいてきました。

 

この「山水長巻」は、奥書から、文明十八年(一四八六)十二月に描かれたことがわかっています。描かれた目的は、諸説あるようですが、雪舟を庇護した守護大内氏の依頼により、大内氏ゆかりの寺社に奉納されたもの、という見方が定着しつつあるようです。島尾新氏によれば、それは、状況証拠から見て、大内氏の氏神氷上山興隆寺であろうとのことです。

 

この「山水長巻」、保存状態が良く、とても五百年の年月を経た絵巻物とは思えないほどのあざやかさです。大内氏の滅亡後、毛利氏が継承したと考えられていますが、とてもとても戦乱をかいくぐって伝えられたとは、思えないほどです。

 

この「山水長巻」を描かせた大内政弘以降、比較的安定していた山口ですが、陶晴賢による大内義隆の排除、その後の大内氏重臣間の内訌、毛利氏の進攻を目前にしたごたごたなど、時には大内氏の御殿そのものも焼失した可能性があるだけでなく、当時の山口市中は相当荒れていたと考えられています。そのような場で「山水長巻」が保管されていたのであれば、この至宝が、無事毛利氏の手に帰することはなかったかもしれません。毛利氏が無事に手中に収めている事実そのものからも、島尾氏の考えは妥当かと思われます。

 

では、いったい毛利氏は、どのような経緯でこの「山水長巻」を入手したのでしょうか。もしこれが、興隆寺の寺宝であったとすれば、防長進攻後における、毛利氏と興隆寺の関係を丹念に考察していく必要がありそうです。大内氏の氏寺であった興隆寺は、毛利氏時代になると、必ずしも前代と同様の尊崇を受けていたわけではありませんでした。このあたりが、「山水長巻」の謎を解く鍵になるのでは、と今は考えています。