山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第167回

2013.11.15

毛利家絶対な基本形半5_cs6 これは、毛利元就が和歌をしたためた短冊です。毛利博物館にも「元就筆の短冊」なるものが持ち込まれることはよくありますが、そのほとんどが後世の写本か、全くの偽物です。この短冊は、冒頭の「心」の文字や、「元就」の署名が、元就の筆跡によく似ていますから、おそらく元就自筆の短冊と考えてよさそうです。

 

この和歌は、その頭書に、「尾崎にて花御歴覧の日」とありますから、毛利氏の本拠郡山城内の尾崎丸において、花見を行ったときに詠んだもののようです。尾崎丸は、元就の住む本丸から見ると、前面の下段に位置します。この郭には、元就の長男隆元と、大内義隆の養女として隆元に嫁いだ尾崎局(おざきのつぼね)の夫婦、そして輝元をはじめとする、隆元夫妻の子どもたちが暮らしていました。

 

元就は、この尾崎丸に住む隆元や夫人、輝元らと、たびたび手紙を交わしています。その内容は、誠に多岐にわたるものでした。たとえば、他大名家との戦争や外交に関する作戦の相談、家臣の人物評価などその統制に関わる密々の相談など、領国統治の最重要問題はもちろんのことですが、たわいもない日々の音信や贈答品のやりとり、輝元の養育に対するアドバイスなど、実に細々とやりとりしていたようです。

 

その一方で、この短冊を見る限りでは、元就と隆元一家は、手紙のやりとりだけではなく、花見など、時には皆でうちそろって団らんを過ごすこともあったようです。

 

「三本の矢」の逸話で広く知られているように、毛利一族の結束は、戦国の当時から周知の事実でした。しかしこの結束は、親子兄弟だから、血縁だからといって自然に結束したわけではありません。頻繁な書状のやりとりや、尾崎丸での花見のような団らんなど、結束を強めて、家族としての信頼を醸成するため、元就とその一家は寸暇を惜しんで努力していたのです。