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第156回

2013.08.30

nt毛利家130830具足櫃 この写真は、毛利輝元が、豊臣秀吉から拝領した唐冠二枚胴具足(とうかんむりにまいどうぐそく)という甲冑を納めている具足櫃(ぐそくびつ)です。

 

全体に黒漆を塗り、底を除く各面に、菊・桐の紋章を、高台寺蒔絵(こうだいじまきえ)と呼ばれる、金銀をちりばめた蒔絵技法で贅沢に描く見事なものです。具足櫃は、甲冑を収納する箱のことですが、入れ物とは思えないほど豪華であることから、この櫃そのものも秀吉が用意し、秀吉は、この櫃の中に具足を納め、櫃ごと輝元に与えたと考えられています。

 

制作当時の箱が、具足とともに残されている例は大変珍しく、蒔絵のすばらしさとともに、この具足櫃や具足の歴史的価値をぐんと高めています。毛利家としては、秀吉から与えられたこの具足、箱も大切に保存するほどに、大切なものと認識していたのでしょう。

 

しかし残念ながら、この具足が輝元に与えられた経緯は、まったくわかっていません。この櫃に納められている唐冠形兜とは、中国の役人がかぶる冠を模したもので、秀吉の中国趣味、あえて断言するならば、秀吉の大陸制覇への野望を、形に示したものだといえます。

 

秀吉の朝鮮侵略に、毛利輝元が大軍を率いて従ったことはよく知られています。ところが、それよりもかなり前の天正十四年(一五八六)四月、秀吉は、九州島津氏攻めに先立ち、輝元に対して領国支配の刷新と、国内諸関所の撤廃、九州攻めのための兵糧の準備、九州方面への道づくり、北部九州の国人衆からの人質確保など、多岐にわたる命令を下しています。その中に「高麗御渡海事」と、すでに後の大陸侵攻をにおわせるような記述もあるのです。この点などから、秀吉が、早くから大陸侵攻を考えていたとする説もあり、秀吉が、はたしていつこの具足を輝元に与えたのか、まったくわかりません。ただ、こうした甲冑や具足櫃は、他の大名家とくらべても格段に立派ですから、秀吉が毛利氏にかけた期待の大きさはわかるのです。