山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第155回

2013.08.23

nt毛利家130823会柔追討密勅 写真は、あの有名な「討幕の密勅」と同時に長州(山口)藩主毛利敬親父子に対して下された、会津・桑名両藩を討てとの「会桑追討密勅」です。

 

ドラマなどでもおなじみですが、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)は京都守護職として、まさに武を以て京都を治めていた、江戸幕府方の重鎮でした。桑名藩主の松平定敬(さだあき)は、容保の実弟にして、朝廷の監視役である京都所司代を務めていました。この両者は、まさしく幕府の守護者として、いわゆる志士の排除や、禁門の変などにおける長州藩の追い落としにも活躍していましたから、将軍徳川慶喜とともに打倒の標的とされたのでしょう。

 

鳥羽伏見の戦い後、無血開城で江戸城を引き渡し、ひたすら謹慎に努めた徳川慶喜とは対照的に、松平容保・定敬兄弟が新政府軍に対して抗戦を続け、会津藩の本拠鶴ヶ城を巡って激しく攻防したことは周知の通りです。

 

ドラマなどでも、薩摩・長州・土佐藩を中核とする新政府軍と会津藩の攻防や、さまざまな駆け引きなどがよく取り上げられます。なかでも白虎隊の自刃などは、語るも涙の物語としてよく知られ、彼らの自刃した場所は観光地にもなっているようです。

 

それはそれとして、ドラマではあまり取り上げられないことですが、この戦いの戦費はどうやって捻出されたのでしょうか。幕末の会津藩は、江戸の台場築造や京都守護など、続けざまの出費で大変だったようですし、江戸後期の諸藩が慢性的な赤字財政であったことは周知の事実です。実際に戦場と化した会津の人々、なかでも通過点となった街道の村々や、実際に戦闘が行われた城下の人々は、この戦争にどう関わったのでしょうか。

 

テレビドラマや小説は、戦争を、ヒーロー・ヒロインの活躍の場として描きがちです。彼らの活躍からだけでは見えないもの、それを描き出すこともまた歴史学の大切な仕事です。