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第151回

2013.07.19

nt毛利家130719柳に蝙蝠 この絵は、前回紹介した「月に狸」の絵と対をなす絵です。太くごつごつとした柳の上を、大きなコウモリが飛んでいます。ユーモラスな狸と対照的に、おどろおどろしい感じの絵です。

 

柳といえば幽霊、は夏の定番でしょう。柳は水辺でも根張りよく育つことから、護岸用の樹木として珍重されていたようです。また江戸をはじめ、江戸時代の主要な都市は、河口付近の低湿地を造成して都市化したことから軟弱な地盤が多く、よく川岸に柳を植えたといいます。時代劇の風景として、川岸に柳が多いのはそのためのようです。江戸時代の人たち、特に都市住民にとって柳は、大変身近な樹木の一つであったことは間違いないようです。

 

またコウモリも、西洋文明の普及とともに、忌避すべき動物としてのイメージが定着していくようですが、中国の影響を受けた漢字文化圏では、一般的に蝙蝠(こうもり)の音が、福を招く意味の偏福に通じることから、縁起の良い動物とされていたらしく、日本でも福禄寿など、しばしば吉祥の画題として掛け軸などに登場します。

 

江戸時代の人々にとって、この絵は恐ろしいものではなく、夏の涼しげな絵と捉えられたことでしょう。ただ何といっても作者は、あのユーモラスな狸を描いた谷文晁(たにぶんちょう)です。どんな意図をもって描いたか、もう少し掘り下げてもよいのかもしれません。

 

長州(萩)藩の七代藩主毛利重就は、嫡男治親の室を、文晁の主家田安徳川家から迎えました。江戸藩邸の差図から、彼女が将軍家の姫君としての待遇を受けていたとの指摘もあります。

 

同じ頃、薩摩の島津家は、田安家と並ぶ御三卿の一橋家と縁を結びます。この一橋家から十一代将軍が生まれたため、島津家が将軍外戚として以後の政局を左右することは知られています。毛利家と島津家は、将軍との縁戚においても、他大名に抜きんでていたようですが、こうしたことが幕末の政局にどう影響したのか、毛利家の場合、明らかとはいえません。