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第150回

2013.07.12

毛利家0712月に狸yo この絵は、毛利博物館所蔵の作品のうちでも、かなりユーモラスな一品ではないでしょうか。空にはまん丸なお月さま、月明かりに照らされた地上に狸を描いたものです。狸は二本の後ろ足で直立し、まるで人間のようです。おなかにあてた右の前足は、まるで月見の祝宴で食べ過ぎた腹をさするか、盃でも持ってもう一杯という風にも見えます。足元の涼しげなせせらぎは、秋の涼やかな一瞬をとらえたものでしょうか。それとも川に盃ならば、曲水の宴でも開いているのでしょうか。いろいろと想像を巡らせることができる、とても面白い絵です。

 

この絵の作者は、谷文晁(ぶんちょう)、江戸後期に活躍した南画(なんが)の大家です。この絵は、輪郭線を用いない、没骨(もっこつ)法という手法で描かれています。柔らかでユーモラスな感じが強いのは、この技法のせいでもあるようです。

 

また谷文晁は、江戸後期の老中で、寛政の改革を主導した松平定信に見出され、彼の下で「集古十種」などの編さんに従事したことで知られています。彼の父は、徳川御三卿の一つ田安徳川家の家臣であり、文晁もまた天明八年(一七八八)、田安家に五人扶持で召し抱えられたといいます。松平定信の父は田安宗武(たやすむねたけ)といい、田安家を興した人物でした。定信による文晁登用は、文晁が田安家のお抱えであったことが影響しているようです。

 

さて田安家といえば、長州(萩)藩の八代藩主となった毛利治親(はるちか)の正室節姫(ときひめ)の実家でもありました。節姫に対しては、しばしば父の宗武から音信があったようですし、毛利家には節姫の弟松平定信ゆかりのものもいくつか残されています。おそらくこの絵も、このような毛利家と田安家、あるいは定信との関係を抜きに考えることは難しいと思われます。毛利家と田安家との関わりについては、まだ不明のことも多いのですが、江戸後期における毛利家の重要な交際相手として、今後研究を深めてみたいテーマの一つです。