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第147回

2013.06.21

nt毛利家130621几帳文様単衣 この写真も、前回に引き続き、明治時代の女性の衣装です。単衣(ひとえ)と呼ばれる、裏地をつけない衣装で、晩春ないしは初秋用の衣装だったようです。

 

この衣装は、全体を萌葱色(もえぎいろ)の縮緬で仕立て、腰から下の部分に、刺繍や染めで、すすきや萩・菊などの秋草文様と、貴族の住宅で間仕切として使われていた調度の一つ、几帳(きちょう)を表した、とても華やかな衣装です。

 

腰から上は無地で、両肩・背・両胸の五か所に、毛利家の家紋である「沢瀉(おもだか)」が描かれています。この紋は、「三つ沢瀉」のような個人紋とは異なり、毛利家としての正式な家紋です。そのため却ってこの衣装の持ち主を特定することはできないのです。

 

現在の毛利家では、「沢瀉」は女性が使う家紋とされているようです。しかし、現在毛利博物館に残されている、江戸時代の当主毛利重就(しげたか)や、敬親(たかちか)、その子元徳(もとのり)の衣装には、家紋として「沢瀉」が使われていますから、「沢瀉」が女性の家紋とされたのは、どうやら明治時代以降のように思われます。確かに、明治以降の当主である元徳や元昭の写真や衣装を見ると、江戸時代の「沢瀉」とは異なり、羽織の紋には「一に三つ星」を使用するようになっています。したがって、性別による家紋の使い分けは、明治時代のどこかで決められた事のように考えた方がよさそうです。

 

ところで、江戸時代、女性は、一般に名字を用いることはありませんでした。名字は、その「家」の構成員であることを示す、重要な標識ですが、女性の名字使用は、明治時代以降に進められた戸籍制度の整備とともに一般化するようです。では、同じく家を区別する標識である家紋を、はたして江戸時代の女性たちは使用していたのでしょうか。基本中の基本のようにも思われますが、このあたりのことは、実は案外よくわかっていないようです。