山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第144回

2013.05.31

毛利家130628白鷺図yo毛利博物館では、五月三十日(木)から、新しい企画展「花・鳥・風・月」が始まりました。この花鳥風月とは、月や梅・菊など、四季折々の深い趣をあらわす植物や動物・景色などを指し示します。と同時に、そうしたものを詩や絵で描く、風雅な行いや精神も意味したようです。

 

写真は、芦に鷺の絵です。川など水辺に生える芦と、水場でよく見かける鷺は、水の豊かな日本の風景を代表する題材として、よく取り上げられるものの一つです。この絵も、枯れた芦と、そこにたたずむ鷺を描いた、よくある題材の絵のようです。いっしょに梅の花も描いていますから、冬枯れの季節から早春へと移りゆく季節を描いたものでしょうか。

 

この絵は、毛利元就の嫡男隆元が描いたものとされています。芦や梅などは、それなりに様になってはいるようですが、岩の立体感のなさや、鷺のぎこちなさなど、明らかに素人くさいところも多く、隆元自筆にまちがいないようです。また、岩の描き方などに、雪舟流の特徴が見られることから、雪舟の流れをくむ絵師が示した手本を写したものと考えられています。雪舟などにくらべ、明らかに勢いのない岩の線などからは、手本どおりに写そうと、懸命に筆を走らせる隆元の姿が目に見えるようです。

 

ご存じの如く、隆元は、山口で青年期を過ごしました。それは、尼子氏の進攻を間近に控えた毛利氏が、大内義隆への忠誠を示すための、人質としての山口行きでした。しかし、現在残されている隆元の滞在記を見る限りでは、館での犬追物の見物や宴会といった、義隆や大内氏の家臣団との社交、香積寺(現在の瑠璃光寺)など名刹への参拝など、繁栄する「西の京」山口で、隆元はその高度な都市文化を十二分に堪能していたようです。

 

この絵が何時描かれたかは定かではありませんが、この絵は、隆元が大内氏の下で、精神的にもその影響を強く受けたことがわかる、貴重な歴史的資料でもあるのです。