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第142回

2013.05.17

毛利家160708銀采配写真は、采配(さいはい)といい、戦場で指揮をとるためのものです。もともとは、細かく裂いた銀紙を束ねて房とし、その付け根に皮を巻いた柄を付けていたようです。保管状態がよくなかったためか、かなり使われていた当時と形が変わっているようです。柄はほとんど欠けて、とても握ることはできません。房そのものも、ちりちりに縮れて、当時の姿を思い浮かべるのはなかなか困難です。

 

この采配は、毛利輝元の嫡男として生まれ、長州(萩)藩の初代藩主となった毛利秀就のものとされています。この時代の采配は、ほとんど残っていないそうですから、采配そのものから秀就所用の真偽を確認することは難しそうです。

 

この采配は、もともとは少し小さめの挟箱(はさみばこ)の中に、同じく秀就所用とされるよろい下着や、軍扇、陣羽織などとともに保管されていました。挟箱とは、箱の側面に付けられた金具に棒を通して、付き人に担がせる、運搬用の箱のことです。ほぼ同じ形のものがあと二箱あり、こちらには秀就所用の具足や床几(しょうぎ)が納められています。おそらく秀就が隊列を組んで行軍する際に用いた挟箱を、その中身ごとまるまる保管したのでしょう。

 

そのように考えると、この采配、どうやら秀就のものに間違いなさそうです。しかも、秀就は文禄四年(一五九五)の生まれ、すなわちこの采配は、約四〇〇年前のものなのです。

 

当たり前ですが、たいていの場合、遺品は現代に近い人ほど多く残されています。しかし毛利家の場合、元就と秀就の遺品は、他のどの時代の当主よりも多いのです。元就のものに関しては、形式的に元就の時代に合わないものも多く、はたして本当に元就のものかどうか、怪しいものも多く含まれています。しかし、秀就のものは、特に矛盾もなく、本人のものに間違いなさそうです。なぜ秀就のものが特に大切に残されたのか、それはまだよく分かっていません。