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第134回

2013.03.15

130315_mouriこの写真は、「毛垂箱(けたればこ)」といいます。「毛垂箱」とは、当時の上流階級の女性が用いた、いわゆる女房言葉で、剃刀(かみそり)を収める箱のことだそうです。この剃刀は、当時の女性たちが、その肌を色白に見せるための嗜みとして、顔などに塗っていた白粉(おしろい)を塗るとき、襟足などの産毛を剃るために用いられたそうです。

 

そしてこの「毛垂箱」にも、前回と同様の文様、黒漆に金の蒔絵で竹を菱形に編んだ竹菱文様を描き、菱形の内には梅を描いていますので、八重姫の婚礼道具であるとわかります。婚礼道具に相応しく、箱だけでなく、中の剃刀すべてにも、同じ文様が描かれているところは、さすがは大名家の婚礼道具といったところでしょうか。

 

八重姫の婚約が決まったのは、前回紹介したとおり、天保四年(一八三三)のことでした。この決定後、人員の配置など、婚礼に向けた準備が早速開始されます。ところが、そのさなかの天保七年(一八三六)五月、八重姫の実父である十代藩主毛利斉煕(なりひろ)が死去しました。続いて九月には、養父であった十一代藩主毛利斉元(なりもと)も、国元の萩で急死しました。それだけでなく、十二月には、斉元の跡を継ぎ、十二代藩主の座についた八重姫の兄毛利斉広(なりとお)もまた、二十三才の若さで急逝してしまうのです。

 

当主を亡くしたことから、彼らの喪に服すため、八重姫の婚礼は、しばらく先延ばしにされたようです。また、三代の当主を一年のうちに亡くすという、前代未聞の出来事は、その法要や、跡継ぎの襲封をめぐっての幕府との折衝、新藩主の官位・官職をめぐる朝廷との折衝、その後の様々な諸行事などのため、膨大な経費を長州(萩)藩に負担させる結果となりました。

 

そのせいか、同じく莫大な費用を必要とする八重姫の婚礼についても、婚約後四年を経てもなお、藩の首脳部の間では、なかなか実施にうつす決断ができなかったようです。