山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第132回

2013.03.01

st毛利家160115合貝この写真は、貝合わせに用いる貝「合貝(あわせがい)」です。もともとは、一対の蛤貝の殻内に、同じ絵を描き、絵柄を合わせて競う遊び「貝合わせ」に用いる遊具でした。

 

蛤にいちいち絵を描くのは手間も掛かり、高価であるためか、同じような遊び方のできる遊具としてカルタが普及するのに伴い、遊具としての「合貝」は廃れるようです。しかし、二枚貝である蛤の貝は、当然といえば当然ですが、元々のつがいとなる貝殻同士しか合わないため、一度嫁ぐからには二夫にはまみえない意志を示すものとして、特に大名など上流階級の婚礼道具には、なくてはならない物とされたようです。

 

この「合貝」は、天保十年(一八三九)に長州(萩)藩の支藩徳山毛利家の当主毛利元蕃(もとみつ)に嫁いだ八重姫(やえひめ)の婚礼道具として作られたものです。蛤の内側に、岩絵の具で源氏絵とおぼしき絵を描き、余白部分には金箔を張り付けた、とても豪華な、いかにも大名毛利家に相応しい一品です。

 

八重姫は、長州藩の十代藩主毛利斉煕の五女として生まれました。戦国時代以前、武家女性の婚姻は、家同士の同盟の証として成立することがほとんどでした。つねに戦いにさらされていた中世の武士にとって、婚姻の成否は、まさしく家の死活を分ける大問題でした。そのためか、幕府は諸大名の婚姻を、事前に届け出て幕府の裁可を仰ぐべき事案と定めていますし、諸藩においても同様の措置がとられました。

 

江戸時代の婚姻に、そこまでの切迫感はなかったでしょうが、それでも大名家の婚姻は、きわめて政治的な問題を抱えることが常でした。七代藩主毛利重就以降、藩主娘の嫁ぎ先は、摂家・譜代名門・外様大藩などが、特に目立つようになります。そのなかで、親族である支藩主に嫁いだ八重姫の事例は、やや特異な事例のような気もしますが、いかがなものでしょうか。