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第131回

2013.02.22

130222_mouri1この写真は、書物を入れて持ち運びできるようにした「文庫(ぶんこ)」と呼ばれるものです。中に入れられているのは、「二十一代集」といい、平安~室町期にかけて編集された、二十一の勅撰和歌集を一つにまとめたものです。江戸時代には、上流武家の姫君必須の教養書とされ、婚礼道具にも必ずといってよいほど含まれていました。

 

この文庫、よく見ると、毛利家の家紋「沢瀉(おもだか)」以外にもう一つ、徳川家の家紋「三つ葉葵」が描かれています。二つの家の紋を同時に描くのは、婚礼道具の証です。したがって、この文庫は、徳川家から毛利家に嫁いだ姫君の持参品であったと推測されるのです。

 

さて、ではこの文庫、どの姫君が持参したものなのでしょう。全く確証はありませんが、文庫の装飾の具合から、この文庫の制作年代は江戸時代後半と考えられています。そうすると、この時期に該当する姫君といえば、十一代将軍徳川家斉の娘和姫(かずひめ)、あるいは、九代将軍徳川吉宗の孫娘節姫(ときひめ)、この二人に絞られるようです。

 

和姫に関しては、初めて毛利家に嫁いできた将軍の実子として、さまざまな場面で紹介されていますし、このコーナーでも、既に紹介したとおりです。

 

節姫は、徳川吉宗の次男田安宗武(たやすむねたけ)の五女として、宝暦六年(一七五六)に生まれました。将軍実子ではないせいか、これまであまり注目されてはいませんでしたが、節姫時代の長州(萩)藩江戸藩邸の指図(さしず)を分析した宮崎勝美氏によると、節姫の暮らしていた「東御殿」の玄関式台や対面所は、通常の奥御殿のそれより大きく立派だということが指摘されています。これはどうやら、毛利家において、節姫が将軍家の姫君として遇されていたことを示すものだそうです。将軍家の姫君として迎えられた節姫。彼女が毛利家の歴史の中でどのような役割を果たしたかは、今後研究が必要そうです。