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第123回

2012.12.28

121228_mouriこの写真は、毛利元就が用いたとされる「軍配(ぐんばい)」です。軍配とは、正確には「軍配団扇(ぐんばいうちわ)」と呼び、武将が戦場で采配の代わりに用いたものです。

 

元就は、七十五年の生涯のうちに、数百の戦いに勝利したとされます。しかし、実際に元就がどれだけの戦場に出て、どのくらいの勝ちを収めたかは、確たる史料から明らかにできるわけではありません。そのほとんどが「軍記物」とよばれる、後世、特に江戸時代に記された記録物語によるものですから、ほとんどあてにはならないのです。

 

元就が、戦場でどのような指揮をとったかは、残された当時の史料から明らかにするしかありません。しかし、現在残されている書状類には、直接戦況を記したものや、具体的にどのように指揮をとり、どのように謀略を仕掛けたかは、全くといってよいほど記されていません。

 

実際に元就が戦場を走り回っていたころの戦いは、せいぜい数百人程度の軍勢同士が、ほぼ全体が見通せる狭い範囲で戦うのが普通でした。そのような戦場では、大声を張り上げたり、鉦や太鼓を鳴らすだけでも、十分に軍勢を統制はできたでしょう。少なくとも、手紙で戦術を指揮するよりは、使者に口頭で用件を伝えさせる方が、迅速で正確であったに相違ありません。

 

戦国の争乱が深刻化するにつれ、戦闘は大規模に、広域化していきます。動員される軍勢の数も数千から数万にふくれあがり、戦闘参加の条件や、戦後の恩賞の約束など、口頭の約束だけで済ませるわけにはいかない様々な要素が加わるにつれ、味方に渡す手紙、使者への指示、敵を調略する手紙、さらには謀書とよばれる敵を(時には味方をも)欺く偽の情報を流した手紙にいたるまで、大量の手紙が戦場やその後方で遣り取りされるようになったようです。

 

元就の時代は、急速に戦争が拡大した時代でした。それにうまく対応し、大量の戦力・物資と情報を、迅速に操作できる武将、そうでなければ生き残ることすらできなかったのです。