山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第117回

2012.11.16

nt毛利家0808通信符これは、前回紹介した「日本国王之印」とともに、毛利氏が大内氏から引き継いだ「通信符」と呼ばれる印鑑です。ご覧のとおり印面が半分に割られているのが特徴です。側面の文字から、景泰四年(一四五三)に、時の朝鮮王朝から大内氏に与えられたことが知られています。

 

この印に関しては、既にこのコーナーにおいて、これを入手した毛利元就の嫡男隆元が、この印とともに入手した「牙符(がふ)」を用いて、朝鮮王朝と通交しようとしていた事実を紹介しています。華々しく対外交渉を進めた大内氏の領国を引き継いだ毛利氏は、当然といえば当然ですが、大内氏に替わり、朝鮮王朝との通交を開始しようとしていたのです。

 

しかし、須田牧子氏によると、この試みはどうやら失敗に終わったようです。対馬の宗家に、毛利元就・隆元父子が宛てた書状が残されています。それは、毛利氏が、対朝鮮通交の仲介を依頼していた宗氏に対して、交渉を早く進めるよう催促したものでした。宗氏は、元就らの度重なる催促に対して、「時期を見計らってそのうち」と答えていたようですが、結局その「時期」が訪れることはなく、元就らの希望は果たされなかったようです。

 

なんと対馬には、この「通信符」をまねて作られた木製の偽造印が残されています。これは、どうやら宗氏が、大内氏の名をかたって、勝手に朝鮮王朝に使者を送るときに使用していたもののようです。毛利氏の度重なる要請にもかかわらず、言い訳を繰り返して朝鮮との取次を渋った宗氏は、大内氏滅亡を契機に、自ら朝鮮貿易を独占するようになったと考えられています。

 

おそらく毛利元就も、そうした事情はうすうす解っていたはずです。しかし、日本と異なる文化を持ち、儀礼を重視する朝鮮と通交するためには、その外交上のノウハウを知り尽くし、さまざまな人脈をも有していた宗氏の協力が絶対不可欠でした。毛利氏の要請を断るための、見え透いた宗氏の弁解を、毛利元就・隆元父子は、どのような面持ちで聞いていたのでしょう。