山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第115回

2012.11.02

nt毛利家131101四季山水図本格的な秋を迎えて、毛利博物館では、恒例の特別展「国宝」がはじまりました。この特別展といえば、なんといっても、その目玉は、雪舟が描いた国宝の「四季山水図(山水長巻)」でしょう。この作品は、雪舟が描いた水墨画の中でも、つとによく知られ、毛利家の随一のお宝として、全国から見に来る人があとを絶ちません。

 

この作品に関して、よく見学者の方から尋ねられるのが、「毛利家と雪舟には、どのような関わりがあったのでしょうか?」という質問です。これについては、現在残されている史料からは、全く不明としか答えようがありません。ただ、残された史料や、時代状況から判断すると、「関係は全くなかった」と、考えた方がよさそうです。

 

雪舟は、言わずと知れた、山口を本拠とした有力な守護大名大内氏の庇護の下で、絵筆をふるった人物です。彼が活躍した十五世紀の後半は、毛利氏がようやく大内氏の傘下に帰属したころで、後の元就の時代ほどには、大内氏と毛利氏との関係は密接ではありませんでした。そのため、大内氏を経由して、毛利氏が雪舟と関わりを持ったとは思えないのです。

 

ただし、毛利氏が雪舟と関わりを持てなかったのは、毛利氏が片田舎の小さな領主だったからではありません。室町時代の毛利氏は、安芸国(あきのくに・現広島県西部)の要をなす重要な領主として、室町幕府からも注目されていました。歴代の当主は、いずれも幕府の軍勢催促にしたがって、都の周囲である畿内(きない)の戦場を転戦していますし、室町幕府に参上することもしばしばありました。また、京都の情勢をいち早くつかみ、幕府との交渉を円滑に進めるための事務員である雑掌(ざっしょう)を、京都に常駐させてもいました。

 

これは毛利氏だけの特殊事情ではありません。室町時代の地方領主は、大なり小なり毛利氏のように、つねに都の動向に注目し、情報を手に入れられるようにしていたのです。