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第113回

2012.10.19

121019_mouri旧毛利家本邸が完成したのは、大正五年(一九一六)のことです。この邸宅ができてから、まだ百年は経ていません。寿命が短いとされる現代建築にくらべれば、はるかに年代を経た建物ですが、八百年という毛利家の長い歴史の中では、比較的新しいものだといえます。

 

これだけ新しいのですから、何でもよく解っていて、解らないことなんか一つもない、と言いたいのですが、そういうわけにもいかないところが厄介なのです。建物の宿命ともいえますが、使用する期間が長ければ長いほど、建築当初の目的とは異なる使われ方がなされたり、使いやすいように手が加えられたり、あるいはそれらが繰り返されるため、建物の使い方や用途、現在の姿にいたるまでの経緯が、解らなくなっていることもよくあるのです。

 

この写真も、実はその一つです。これもやはり、新築記念アルバムに収録されている一枚です。写真下の題箋には、「八幡社。稲荷神社」と書かれています。しかし、毛利邸に詳しいみなさんでも、この建物には見覚えがないのではないでしょうか。それもそのはず、この二柱の社は、現存していません。八幡社の方は、毛利家の氏神として、吉田郡山城から萩城へと、毛利家とともに移転した宮崎八幡だと思われます。稲荷社もおそらく毛利家ゆかりの神社なのでしょう。萩城の廃城後は、当主毛利元徳とともに、東京高輪邸に移転していたものと思われ、福田東亜氏の調査によれば、大正五年の社殿完成後、品川駅から三田尻駅まで、ものものしく神体が遷座し、同年七月五日、当主毛利元昭(元徳の子)列席の下、遷座式が行われたことが明らかにされています。

 

このような大切な建物ですが、現在は影も形もありません。敷地そのものも、その後のゴルフ場造成により削られてしまったのか、鳥居はもちろん、敷石や石垣の縁すら感じさせません。創建から現在に至るまでに一体何があったのでしょう。旧毛利家本邸最大の謎の一つです。