山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第110回

2012.09.28

120928_mouriさてこの写真も、引き続き公爵毛利邸完成記念アルバムからの一枚です。これがどこか一目でわかる人は、かなりの毛利博物館通です。

 

この写真は、下部の解説によると「子女居間」とあります。すなわち子ども部屋のことです。現在この写真と同じ姿では、残念ながら見ることが出来ません。それは、窓を壁でふさぎ、室内を区切る壁や建具・欄間に至るまで、展示室に改装するため取り払われてしまったからです。そう、これは、現在の博物館第一展示室の、大正時代の姿なのです。ただし、床や床柱・棚は現在もそのままに残されていますので、そこにわずかながら面影が残されています。

 

さて、旧毛利家本邸には、子ども部屋は一部屋しかありません。広い邸宅にもかかわらず、この一部屋だけで不足しなかったのでしょうか。よく来館者から尋ねられますが、はたしてどうだったのでしょう。この本邸の使用ぶりは、残念ながらあまり詳しく伝わっていないのですが、答えを言えば、あまり困らなかったようです。

 

福田東亜氏によると、なんと当初の設計では、子ども部屋は設置すらされていなかったそうです。しかし、子どもたちの帰省時に宿泊する部屋が無くては困るということから、急遽この一部屋が付け加えられたというのです。

 

また、福田氏によると、毛利敬親の猶子となり、海外留学の経験をふまえ、公爵毛利家の家政運営にも発言した吉川重吉(ちょうきち)は、欧米の上流階級を見習い、毛利家の子女は、いち早く親元を離れて、広く見聞を深めるべきと主張していたといいます。この言に従い、毛利家の子女は、早くから親元であるこの防府の地を離れ、東京などに寄宿していたようです。

 

よって、この旧毛利家本邸は、当主である毛利公爵夫妻、及び年少の子女が暮らすためだけに建てられた邸宅なのです。それなのにこの広さ、さすがは毛利家といったところでしょうか。