山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第109回

2012.09.21

120921_mouriさて、この写真は、何を写したものでしょうか? 前回に引き続き、公爵毛利邸完成の記念アルバムからの一枚ですが、これは本邸内の発電機を写した、とても貴重な写真です。

 

現在、毛利博物館には、旧毛利家本邸屋内、および屋外の電灯線配線図が残されています。屋外の要所要所、邸宅の周囲や庭園内には、現在は失われていますが、当時の防府ではまだ物珍しかったであろう街灯が、要所要所に設けられていました。一方屋内では、すべての部屋部屋、廊下やトイレ・台所・女中部屋・蔵の一室一室にまで電灯が張り巡らされていました。これらすべてに電気を送るための装置が、この発電施設だったのです。

 

この邸宅を設計した技師の原竹三郎が記した「防府邸新築竣成報告書」によると、この発電所内に「吸入式瓦斯(ガス)発生機」を使用した「電灯用瓦斯(ガス)機関」を設置し、昼間に機械を運転して蓄電池に充電し、夜間は蓄電池からの電気を用いるようにしたとあります。明治後半以降、大正末頃までには、日本にも電力会社が次々と設立されていたようですが、発電・送電ともに、おそらくこの巨大邸宅の需要を十分に賄うには至らなかったのでしょうか、この発電機は、東京の高田商会を通じて、わざわざ海外から輸入されたものでした。

 

この本邸は、その規模もさることながら、敷地の隅々まで電灯を灯すその先進性が、当時の山口県の人々にとってかなり目新しかったらしく、当時の「防長新聞」にも、詳しく紹介されています。この毛利家本邸は、まさに現代で言うところの「電化住宅」だったのです。

 

近年日本では、これまで当たり前として気にも留めなかった、電気をふんだんに使う生活が、決して当たり前でないことを、思い知らされる出来事が多く起こっています。大正日本に突如として現れた「電化住宅」=「旧毛利家本邸」は、電化生活の原点を振り返るにふさわしい建物として、これからもますますその重要性があせることはないように思われるのです。