山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第107回

2012.09.07

120907_mouri昨年十一月に、防府市多々良の毛利邸が、「旧毛利家本邸」として、国の重要文化財に指定されたことは、すでにみなさんご存じかと存じます。この指定を記念して、今回、当毛利博物館では、開館以来初の企画展「重要文化財 旧毛利家本邸」を開催します。そこで、このコーナーでも、しばらくの間、この邸宅に関する話にお付き合いいただきたく存じます。

 

ここ多々良の地に、公爵毛利家の本邸の建設が決められたのは、明治二十五年(一八九二)のことといいます。それに先立つ明治二十三年(一五九〇)には、明治憲法の発布に合わせて、各華族家の間で、家の憲法とも呼ぶべき「家憲」が制定されます。毛利家でも、この年に、当主毛利元徳(もとのり)によって家憲が定められ、家のあるべき姿や基本財産、相続法、親族の範囲などが明確に規定されています。その一条に、居住地の規定が設けられ、公爵毛利家の本拠は、東京ではなく、山口県下の「土地健康にして且つ交通便利の地」に設定することが定められたのです。その規定に従って選定されたのが、現在の防府市多々良の地だったようです。

 

福田東亜氏によると、先の理由に加えて、元徳の嫡男元昭(もとあきら)が、やや病弱であったため、都会暮らしを避け、気候風土のよい地での療養に専念できることも、この地が選ばれた理由の一つとして挙げられています。

 

たしかに、「旧毛利家本邸」は、平野の多い防府市の中でも、やや小高い高台に位置し、本館の二階からは、はるか大分県の姫島を望むことができます。また、初夏には邸宅裏の水路に蛍が舞うなど、住宅地のすぐ近くとは思えないほど、豊かな自然が残されています。

 

この自然豊かな地、というのは、決して偶然ではなく、明確な目的をもって探された結果だったのです。この邸宅を、「健康」というキーワードが、随所に配慮された近代和風建築として、今なお古びていない、最先端の思想が込められた建物だとご理解いただければ幸いです。