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第105回

2012.08.24

120824_mouriこれは、すでに紹介したことがありますが、慶応二年(一八六六)三田尻に来航したイギリス艦隊の提督キングと会見を果たした、毛利敬親・定広(のち元徳)父子が、イギリス軍艦上にて、提督とともに撮影した写真です。

 

このとき定広は、世子と呼ばれる家督継承予定者ではありましたが、まだ父の敬親から家督を譲られていたわけではありませんでした。しかし、藩の重大事には、時に敬親の名代として行動することがあったことは、前回紹介したとおりです。この会見も、関門海峡での戦闘後、イギリスとの和親を確かめるための、いわば藩の命運を賭けた会見でしたから、藩主である父敬親とともに、定広も会見に臨んだのでしょう。

 

当時の写真は、撮影後に写真師がかなり手を入れて修正を施すため、ありのままが写されているというわけではありません。しかし、この写真は見れば見るほど不思議な感じがします。

 

中央のキング提督は、当時の超大国大英帝国の上流階級らしく、写真慣れしていたのでしょうか、いかにも余裕綽々という体で写真に写っています。一方向かって左側の敬親は、正面を見つめて写っていますが、初めての写真に緊張しているのでしょうか、何となくきょとんとしたような表情です。さらに、向かって右側の定広にいたっては、ややうつむき加減で、顔をしかめているかのような、何とも説明のしようがない表情をたたえています。

 

この写真は、英国と長州藩との修好を記念する、いわば外交上の重要な写真のはずですが、残念ながら日本側の二人の姿は、お世辞にも威厳に満ちたとは言い難いように思われます。

 

当時の写真は、撮影に二十分ほどかかったそうですから、そのせいなのでしょうか。それとも、これまで攘夷の急先鋒であった長州藩の世子として、外交上の必要とはいえ、英国人と肩を並べて写真を撮ることが苦痛だったのか。いろいろと想像を搔き立てる一枚です。