山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第093回

2012.05.25

nt毛利家140530毛利敬親像毛利博物館では、今年一押しの企画展「幕末の英君・毛利敬親」がはじまりました。写真は、この企画展の主役「毛利敬親」の肖像画です。一見すると写真のようにも見えるこの細密な絵は、幕末に写された写真をもとに、狩野松洲(かのうしょうしゅう)という絵師が描いたものです。意志の強そうな容貌は、敬親の特徴として、よく知られているのではないでしょうか。

 

さて、敬親といえば、口さがない人たちが、家臣の意見を鵜呑みにする殿さま「そうせい候」だと、揶揄していることで知られています。まだ私は、なぜこのようなあだ名が付けられたのか、その原典となる資料を見たことがありませんので、いつ、どのようなきっかけで、何を根拠にそう呼ばれているのかは、皆目見当も付きません。

 

ただ、戦前の敬親は、明治維新を成し遂げた偉大な長州藩主として、まさしく神として崇め奉られていました。戦後はその反動もあるのでしょう。また、戦後民主主義の展開や、欧米文明の定着とともに、日本の伝統的な君主観とは必ずしも一致しない、自ら考え、動き、他をリードして革新的な業績を果たす君主がもてはやされ、敬親のような、自らはあまり表に出ず、藩の総意によって動く、どちらかといえばやや保守的なタイプの君主に対する評価が、あまり芳しくないことも、敬親にとっては、マイナスに作用しているようにも思われます。

 

はたして、実際の敬親はどのようなお殿さまだったのでしょう。それを明らかにするには、敬親の日常の起居を知ることはもちろん重要です。しかしそれ以上に、長州藩の諸施策が、どのような現状認識のもとで、誰によって立案・修正され、実行されたのかを明らかにし、その過程における、敬親の役割を明らかにすることが重要なのです。さらには、そこから敬親自身の歴史・政治認識、置かれた立場を読み取るとともに、敬親自身が政策に与えた影響を、客観的に浮かび上がらせることが、ひとまず大事なのではないでしょうか。意外に資料は少なく、作業は難しいのですが、やりがいのある仕事ではあります。