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第091回

2012.05.11

120511_mouriこれは、毛利隆元自筆の「馬書」と同じ箱に収められている巻物です。末尾に、日付と隆元の署名があるので、天文十四年(一五四五)に隆元自らしたためたものに間違いないようです。記されている内容は、「庭乗事」とあり、御殿の庭先に植えられた、松・桜・柳・楓と四季を表す木を基準に、どのように馬を巡らせるか、季節ごとの違いを細かく示したものです。

 

岸田裕之氏によれば、この巻物は、先に紹介した「馬書」とともに、隆元が弟の隆景に対し、山口行きの参考のために与えたものだとのことです。

 

よく知られていることですが、隆元は、天文六年からしばらくの間、毛利家よりの人質として、山口に滞在していました。この間、隆元は、大内家中でも特に故実に詳しいと思われる江口興郷(おきさと)の屋敷をしばしば訪れ、さまざまな儀礼を学んでいます。その中には乗馬の作法も含まれていたようです。そのため隆元は、天文十八年の毛利元就・小早川隆景父子の山口行きに際しては、恥をかかないよう、現地で興郷の指導を受けるよう助言さえしています。

 

隆元は、帰国後も、何かことある度に、興郷に教えを乞い、公家衆や幕府重臣層の下向により、日々変化を遂げつつある義隆時代の大内故実を身につけようと努めていたようです。

 

しかし、こうした隆元の姿勢を、父である元就は危惧していました。大内家中において、社交に努め、毛利氏の家格を上げることは確かに重要でした。しかし、元就からすれば、下剋上や離反の絶えないこの「くだりはてたる世」では、力の裏付けをもたないまま、格式や儀礼にだけ傾倒することは、危険極まりないことでした。そこで元就は、隆元を再三にわたって諭すのです。元就の著名な、「芸も能も慰みも何もかも」必要なく、この世に必要なものは「武略・計略・調略」だけだという、武人の嗜みを、極端に偏ったものとして語りかけた言葉もまた、このような隆元への教育効果をねらって、元就が敢えて強調した部分なのです。