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第090回

2012.05.04

120504_mouri引きつづき、毛利隆元自筆の「馬書」です。この書は、大内義隆の下、空前の繁栄を迎えていた山口における、馬での移動に関する作法について記したものです。

 

今回注目したいのは、この「馬書」の後半に、隆元が記した注意書きです。その内容は、この作法はいずれも隆元が山口にいた当時のもので、今はいろいろと流儀も変わっているから、隆元も作法の教授を受けた江口興郷によく問い合わせるように、というものです。

 

ここからは、この「馬書」は、隆元が、山口での馬の乗り方に関する質問を受けて、それに対する回答として記したものだとわかります。

 

では隆元に、山口での馬の作法に関する教えを乞うたのは誰だったのでしょう。岸田裕之氏の研究によると、この注意書きに登場する人物から、隆元にアドバイスを求めたのは、隆元の弟で小早川家を継いだ隆景であったことが明らかにされています。また、隆元花押の形状や、関連する隆元の書状から、これが書かれたのは、天文十八年(一五四九)のことであったと明らかにされています。

 

この年小早川隆景は、竹原小早川氏の家督継承を許された御礼を言上するため、父親の毛利元就、兄の吉川元春とともに、山口を訪問しています。このときの御礼言上は、一人隆景だけではなく、父親の元就が隠居を認められ、隆元の家督継承が認められたこと、元春による吉川家継承が認められたことの御礼言上も兼ねたものでした。大内領国の東方安芸国において、軍事的な実力を十分に示した毛利家でしたから、山口での立ち居振る舞いも、さぞ注目されたことでしょう。隆元・隆景兄弟もまた、この山口行きの重要性に緊張していたことはまちがいありません。この「馬書」からは、毛利・小早川両家の面目をかけて、緊張しつつマナーの習得に余念のない、若き毛利・小早川両家の当主の姿がかいま見えるのです。