山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第089回

2012.04.27

120427_mouriこの写真は、少し珍しいもので、箱には「馬書」と記してあります。一見しただけではわかりにくいのですが、詳しく読むとなかなか面白いことが書いてあります。たとえば、乗馬の際に袴の裾をどのようにするかとか、日笠は二月一日から九月八日まではさしてよいが、その期間以外はだめだとか、屋形へ出頭する場合は乗り換えの馬を引いてはならないとか、連れて行く小者は、官位や官職を持たない平人は三人だけにしなくてはならないなどと、現代の私たちには、ぴんとこないことが事細かく記してあります。

 

つまり、「馬書」とは記してありますが、そのじつ、馬のことではなく、馬に乗ってどこかを訪問するときの決まり事を列挙したものなのです。では、どこを訪問するときなのでしょうか。四箇条目に「屋形」と記されていますが、これは、有力な守護大名のなかでも、特に格式の高い人物や、その屋敷を指す言葉ですから、これは馬に乗って、「屋形」へ行き、「お屋形様」に拝謁するときの作法だといえます。この文章の末尾には、毛利隆元が花押を据えています。よく見ると、本文も隆元の自筆のようです。隆元が「屋形」と呼ぶのは、当時西国で最も勢力を誇っていた大内義隆以外にはあり得ません。したがって、この「馬書」は、山口市内における馬での移動の作法や、屋形への出頭作法を隆元が記したものだということになります。

 

大内義隆時代の山口は、まさに「西の京」と呼ぶにふさわしく、京都の町をそのまま持って来たような繁栄ぶりだったといいます。義隆を頼って、都の公家衆も多数山口に居住していました。おそらく交通ルールなども、都ぶりのものが持ち込まれていたと思われますし、屋形である義隆への拝謁の作法なども、事細かに定められていたことでしょう。

 

この書は、十代の多感な時期を山口で過ごした隆元が、毛利家の人々が山口で田舎者とあざけられないよう、細心の注意で書き記した、いわばマナーブックだったのです。