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第086回

2012.04.06

120406_mouri前回に引きつづき、毛利敬親・元徳父子とキング提督との写真です。敬親や元徳の顔をよく見ると、つるつるとしてなんだか殻をむいた卵のようです。衣装や持ち物なども、修正によって陰影が強調されています。よく見ると、背景も、撮影時にはどんな背景が使われていたのか、全くわからなくなるほど、まるで絵の具でも塗りたくったように、修正が加えられています。

 

この写真、実際に撮影されたのは、以前にも紹介したとおり、幕末の慶応二年(一八六六)十二月、三田尻に来航した英国人の手によるものです。ただ、この写真は、明治時代の後半、もしくは大正時代の初めころ、東京の写真師丸木利陽(まるきりよう)が複写したものです。

 

丸木利陽は、東京の新シ橋に写真館を構え、明治の半ばから大正初めに活躍した写真師です。皇族・華族の写真を多数撮影したことでよく知られていますが、そのほかにも、高い修正技術が好まれたのか、この写真のように、さまざまな写真の複写もこなしたようです。

 

幕末の人物でありながら、写真が残されている数少ない人物として、毛利敬親の写真はよく使われています。毛利博物館にも、敬親の写真は何種類も残されています。しかし、敬親の写真、よく見るとどれも複写なのです。しかも、敬親単独で写っているものは、もともとは元徳と二人で撮影されたものを、切り抜いて複写したもののようです。初期のものは、複写技術も未熟で、いかにも、もとの写真から切り取って貼ったという感が否めませんが、この写真くらいになると、技術も進み、あまり違和感はありません。

 

この複写された毛利敬親の写真は、毛利家だけではなく、旧藩士家をはじめ、県内各所に残されています。大きさ、複写時期などによって、いくつかのグループに分けられるようですが、詳しいことはまだわかっていません。このたくさん残されている敬親の写真、いったい何の目的で大量に複写されたのでしょう。たった一枚の写真ですが、謎は深まるばかりです。