山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

お問い合わせはこちら

第083回

2012.03.16

120316_mouri前回に引きつづき、毛利敬親の正室都美姫(とみひめ)所用の姫具足ですが、前回、女性用の具足は、室町・戦国時代には見あたらないと紹介しました。では、戦争が日常茶飯だった戦国期、女性はどのように戦争に関わっていたのでしょうか。

 

私自身の不勉強かもしれませんが、こと毛利家自体に関しては、女性が戦場、あるいは籠城戦で指揮をとったという記録はないように思われます。広く毛利家中に目を転じると、永禄十二年(一五六九)の大内輝弘の山口進攻に際して、山口番衆の市川経好(つねよし)が留守であったため、その妻の才覚によって城を持ちこたえたことを褒めた毛利輝元の書状が残されています。しかし、経好の妻がどのような姿で、具体的に何をしたかまでは伝わっていません。

 

関ヶ原合戦の直前、吉川広家が西軍の敗北を確信したとされる伊勢国津城の攻防戦では、城主富田信高の妻が、具足を装備した若武者姿で夫の危機を救ったとされていますが、出典は、かなり後世の記録で、物語の域を出ないように思われます。

 

また、大坂城落城の様子を描いたとされる大坂陣図屏風などには、落城間際に略奪を繰り広げる兵卒から逃げまどう老若男女が描かれています。すべてを詳細に見たわけではありませんが、その中に、果敢に立ち向かう女性兵士は描かれていなかったように記憶しています。

 

「おあむ物語」など、戦国の籠城戦をよく記しているとされる物語などでも、籠城中の女性の役割は、炊き出しや、男性が敵から奪った頸の化粧などに限られているようです。これらの例から考えると、やはり女性が自ら具足を身にまとい、矢玉降り注ぐ最前線で指揮をとる、刀槍を振るうなどという事態は、戦国時代でもなお稀なことだったと考えられるのです。

 

したがって、やむを得ず、女性が戦場に参加する場合は、夫や兄弟・家族などの具足を流用し、つね日ごろから女性用のよろいかぶとをわざわざ作るということはなかったのでしょう。