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第081回

2012.03.02

120302_mouriこれは、今年の企画展「お雛さま」で展示中の雛道具です。黒漆の上に金の蒔絵で渦状になった唐草文を描き、菱形状になった菊の紋を描いたものです。古今雛のサイズに合わせて作られたのか、基本的に小さく、この写真で一番大きな唐机(からづくえ)ですら、横幅十二センチしかありません。唐机の上をご覧になると明らかなように、筆や筆を立てかける筆架(ひっか)、墨のはね飛びを防ぐ硯塀(けんぺい)、筆・墨・硯や文鎮にいたるまで再現されています。こうした細かな付属品まで合わせると、優に四〇〇~五〇〇は超える点数の多さです。

 

しかしながらこの雛道具、どういったものか、その歴史的な経緯を物語る札も注記が全くありません。五〇あまりの木箱に、一つ一つの雛道具が収められていますが、それらは、まとめて現在「公爵毛利家」と書かれた旅行用のトランクに収納されています。この旅行トランクは、当然元々の箱だとは思われませんから、これとて制作時の由緒を物語るものではありません。手がかりとしては、菊菱の紋章となるわけですが、これは明らかに家紋ではなく、いずれかの奥方が、婚礼に際して実家から持ってきたものというわけでもなさそうです。

 

文化学園服飾博物館の植木淑子氏によると、この雛道具と全く同じデザインの雛道具が、かつて子爵の大村家に存在したそうです。まだ実物をみたわけではないため、何ともいいようがありませんが、大村益次郎の功績に報いるため、後継者の途絶えた大村家を、公爵毛利元徳の子息が継承しています。以後大村家は毛利家の親族となりますので、毛利家と大村家で同じデザインの雛道具を所持していても不思議はありません。そうなると、何らかの事情で毛利家側で制作させた雛道具の可能性が強くなりますし、年代もある程度特定できるかもしれません。

 

さてこの雛道具、どういう経緯で作られ、どなたの御道具として大切にされてきたのか、これから慎重に比較・検討していかねばなりません。はたして結果やいかに?