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第079回

2012.02.17

120217_mouri 現在開催中の企画展「お雛さま」のメインとなるお雛さまが、「古今雛(こきんびな)」という、明治時代に吉川重吉(ちょうきち)から、公爵毛利元昭(もとあきら)の夫人美佐子に贈られたものであることは、前に紹介しました。

 

今回の企画展では、その古今雛にあわせて、毛利美佐子所用と思われる人形やその衣装などを多く集めて展示しています。「と思われる」と書かなくてはならないのは、それらがいずれも「この人のものだ」とは特に書いていないからです。ではなぜ「美佐子所用」であることがわかるのでしょうか。

 

見極めの根拠はいくつかあるのですが、その一つが紋章です。近代以降、毛利家の女性たちが「沢瀉(おもだか)」を女性用の家紋として用いていたことは、ご存じの方も多いと思います。この美佐子の場合、少し変わった沢瀉の紋章を使用しているのです。

 

写真の紋章がそれですが、沢瀉の花を三つ組み合わせて作られた「変わり沢瀉」です。現在のところ、少なくとも明治時代以降にこの紋章を用いていたと思われるのが、この夫人のみであることから、納箱や包み、本人の衣装、人形の衣装などにこの紋章がつけられていると、この人のものだろうと推測できるのです。

 

なぜこの夫人のみが、変わった家紋を用いていたのか、それについてはまだ明らかにはできません。江戸時代には、殿様や若殿様、その弟たちが、いわゆる「お印」として、一人一人自分の紋章を作っていたことが判っていますので、そうした慣習にしたがったものなのでしょう。ただ、江戸時代の記録には、お姫様の「お印」は全く出てきません。はたして江戸時代の女性が、現代の人と同じように家紋を用いていたのか、それすら厳密にはよく分かっていません。分かっているようで全くよく分からないもの、それが家紋なのです。