山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第077回

2012.02.03

120203_mouri 今年も毛利博物館では、恒例の企画展「お雛さま」が始まります。写真は、今年の企画展で展示予定の「古今雛(こきんびな)」です。古今雛は、幕末から明治期にかけて流行したとされ、写実的な顔立ちに、派手な衣裳、玉眼(ぎょくがん)とよばれる目のガラス玉など、現在の雛人形に直接つながる雛人形だとされています。そういえばこのお雛さまも、やや古めかしいのですが、今の私たちが見慣れたお雛さまに何となく似ています。

 

この雛人形は、人形の下に敷く畳の裏書から、二代目の公爵毛利元昭(もとあきら)に同じく公爵となった公家の三条家から嫁いだ夫人美佐子に対し、吉川重吉(ちょうきち)が贈ったものだとわかります。

 

吉川重吉は、吉川家の生まれですが、毛利敬親(たかちか)の養子とされた人物です。岩倉使節団に同行してアメリカに留学し、ハーバード大学を卒業後、外務官僚として活躍したようです。また、兄の吉川経建(つねたけ)とは別に一家を立て、男爵の爵位も与えられています。

 

この経歴が示すように、毛利家きっての開明派だったようです。福田東亜氏により、毛利家がその本拠を東京ではなく山口県下に置くことを決める際にも、山口移住を強く主張したことが明らかにされています。彼や井上馨の主張が取り入れられ、防府は多々良(たたら)の地に現在の旧毛利家本邸が建てられたことは、みなさんよくご承知のことでしょう。

 

アメリカ仕込みの西洋的な思考を身につけた吉川重吉が、身内の女性に雛人形を贈るという日本古来の風習を大切にしたことは、何かおもしろい感もありますが、それだけ毛利宗家との関わりが深かったということなのでしょう。

 

吉川重吉が、公爵毛利家とどのように関わっていたか、あまり明らかではありませんが、今後毛利家の家政運営を明らかにしていく上で重要な人物であることは、まちがいないようです。