山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第070回

2011.12.09

111209_mouriこの老人は、「三番叟(さんばそう)」といい、能楽の演目の一つです。正月などめでたい席で上演され、五穀豊穣や天下太平を念じる演目だそうです。能楽は、もとは神事でしたが、人の世のはかなさを描いた幽玄の世界が心をとらえたのでしょう。室町期以降、武家の間で流行し、しばしば絆を強める舞台としても利用されたようです。

 

幕末の大老として、安政の大獄を断行した井伊直弼もまた、能楽をこよなく愛好したといいます。それは、自ら台本を作るほどだったようです。直弼といえば、一般には幕末の政治・外交を主導した人物の一人として、冷徹な統治者としての側面が強調されますが、能だけでなく、和歌・茶の湯など、文化面でも多くの業績を残しているのです。ただそれは、長らく部屋住の身分であったがため、自らの居所を「埋木舎(うもれぎのや)」と自称したことにもよく示されているように、世に出ることが叶わないことへの自嘲を、多分に含んだもののようです。

 

一方、幕末に長州藩を率いた毛利敬親も部屋住の身から、思いがけず藩主に就任した人物です。敬親もそれなりに文化的なことへの造詣は深いのですが、とても直弼に及ぶものではありません。しかし、三十路まで部屋住の身だった直弼と異なり、敬親には直弼のような鬱屈したものは感じられません。それは、十九歳という若さで部屋住の身から解放されたためかもしれませんが、総体として敬親は、自らの境遇や運命を淡々と受け入れ、藩主として自らに与えられた役割を、きわめて誠実にこなしていたように見えます。

 

同じ部屋住であり、文化的にも高い教養を身につけた両人ですが、政策実現のため、安政の大獄を断行した直弼は、結局反対派により暗殺されました。その結果、井伊家の彦根藩は一時窮地に立たされます。敬親と直弼、同じ部屋住でありながら、全く異なる結末を迎えました。単純な比較はできませんが、私たちは、この二人から何を学ぶことができるのでしょうか。