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第069回

2011.12.02

111201_mouriこれは、桃山時代に作られた女性用の衣装「唐織(からおり)」です。能装束として、高貴な女性役を演じる男性の能役者用に作られたため、やや大きめですが、それだけに堂々としています。地文様となる意匠は、鋭角に曲がった山道とも、天空からきらめく稲妻の文様ともいわれ、その豪華さを引き立てるとともに、衣装全体に派手な印象を持たせています。その豪華さや、技術の高さから、桃山時代を代表する作品として重要文化財に指定されている逸品です。

 

毛利家の所伝によると、この唐織は、毛利輝元が豊臣秀吉から拝領したものとされています。その精巧なできばえといい、豪華さといい、所伝に間違いはなさそうです。しかし、いつ、どこで、どのような状況でこの唐織が与えられたのか、残念ながら全くわかっていません。しかし毛利家が代々、貴重な拝領品として大切に保管してきたのですから、何か重要な場面で与えられたのだろうと思われます。輝元は鼓をよくしたとされますので、あるいは能好きの秀吉と競演し、その際に記念として下されたのかもしれません。いずれにせよ、輝元にとってその下賜の場面は、後年まで記憶に残る輝かしいものだったのでしょう。

 

実は、秀吉ゆかりの品々を大切にしていたのは、毛利家だけではありません。意外に思われるかもしれませんが、かなり多くの外様大名家に、秀吉ゆかりの品々が残されていたようです。徳川の世となったのちでも、秀吉への想いはまた別だったということなのでしょうか。

 

秀吉は、配下大名によく金品を与えています。どれほど効果があったかは、定かにできませんが、秀吉が、輝元ら諸大名の心をそれなりにつかんでいたことは間違いないようです。

 

一方徳川家康は、遺品を、御三家など一族ら親しいもの以外には与えなかったようです。金品で諸大名の心をつなぎ止める必要がないほど、大名との上下関係を安定させたからなのか、「心」という不安定なものに頼ろうとしなかったためなのか、秀吉との違いを考えると興味深いところです。