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第067回

2011.11.18

111118_mouriこれは、既に紹介したことがありますが、「三子教訓状」の名前で知られている、毛利元就から三人の子息に与えられた書状の一部です。

 

この書状は、弘治三年(一五五七)十一月、大内氏を打倒して、中国地方最大の大名にのし上がった直後に、家の行く末を心配した元就が、十四か条にもわけて、毛利家の存続を訴えたものだということは、よくご存じのことと思います。

 

この中で元就は、母を同じくする三人の兄弟が結束することで、他の母の異なる兄弟たちをまとめ、その結束力で、必ずしも主君に従順というわけではない家臣たちをきちんと統制して、強力な毛利家を作り上げ、その総合力をもってして、尼子氏や大友氏など他の戦国大名との抗争を勝ち抜き、毛利家を末代までも存続させることを訴えています。

 

したがってこの主張は、教訓とよばれるような道徳的な面を強調したものではなく、当時の毛利家の内部事情や、西日本の社会情勢を、自らの経験をふまえて十二分に分析した元就が、三人の子息に授けた、「合理的な裏付けを伴った必勝不敗の戦略」と評価すべきなのです。

 

その一方で元就は、この書状の後半では、これまでの成功を、自らの才覚によるものではなく、「不思儀にすべりぬけ」る運や、神仏の加護によるものだと強調し、三子にも厳島神社を篤く信仰することや、朝日に向かって念仏を唱えることなどを強く勧めています。

 

おもしろいのは、前半の合理的な説明よりも、この信心の主張の方が、長々とした文章で書かれ、分量としては、むしろこちらの方が明らかに多いのです。それ故に、この書状を「教訓」とみる人も多いのですが、そうした道徳的な見方より、中世に生きる元就にとっては、前半の合理的な作戦と同じくらいに、信仰や信心も重要な戦略の一部であった、ととらえた方が適切なようです。徹底した合理性と、一見合理的ではない信心や迷信・まじない、こうした相反するものを、渾然一体として身にまとっていたのが、戦国武将のおもしろいところなのです。