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第061回

2011.10.07

毛利家111007黒々とした落ち着いた姿ながら、籠手(こて)の黄色が華やかなこのよろいは、幕末の長州藩主毛利敬親(たかちか)のものとされています。

 

背中の部分で引き合わせ、胴の紐を結ぶ腹巻(はらまき)という形式のよろいです。この形式は、大鎧(おおよろい)にくらべ、着脱が容易で、動きやすいことから、大将自ら馬からおり、歩行で戦うことが増えた南北朝~室町期に流行したといいます。なかでもこのよろいは、腿の部分を保護する佩楯(はいだて)が、両足ごとに分かれた宝幢(ほうどう)佩楯と呼ばれる、ひじょうに古い形式を模し、忠実に中世の腹巻を再現しているところが特徴です。

 

江戸時代になると、よろいの潮流の一つとして、よろいが実戦で用いられていた中世のものに似せた、いわゆる「復古調」と呼ばれるよろいが多く制作されます。このよろいは、実に精巧に古いものをまねています。そういう意味では「復古」を極めたといっても過言ではないでしょう。ただ実際には、胴や大袖(おおそで)・臑当(すねあて)はすべて革で作られ、鉄が全く使われていないことや、兜を飾る鍬形(くわがた)すら革で作られるなど、見栄えと軽量化を最優先した、実戦から遠く離れた代物であったことはまちがいないようです。

 

このような形状や、素材の特質からは、江戸末期とはいえ、いまだ太平の世を謳歌していた、のんびりとした雰囲気がただよってきます。したがって、敬親がまだ若い頃に作らせたよろいなのだと思われます。ただ、敬親は十八歳の時、突如藩主に据えられた、本来藩主になる予定の人物ではありませんでした。このよろいは、いわゆる居候身分の部屋住にはもったいない出来栄えですから、おそらく、家督を継承して間もない頃のものなのでしょう。

 

財政難に苦しみ、動揺する体制の再建に努めていた敬親ですが、このよろいを作らせた頃は、その後の激動にくらべれば、まだまだ嵐の前の静けさといったところだったのかも知れません。