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第058回

2011.09.16

毛利家110916「武士の魂」とまで言われ、重要な場面での贈答や下賜に利用され、重代の家宝とされることも多かった刀にくらべ、個人所有物の感が強く、戦場での消耗品と考えられていた甲冑は、あまり古いものが遺されていません。今も残る古い甲冑は、寺社への奉納品や、何らかの由緒をもつ特殊な品であることが多いようです。

 

この写真の甲冑もまた、特殊な由緒ゆえ現在に伝えられたものです。これは、毛利隆元の岳父内藤興盛が、娘婿の隆元に贈ったものといいます。手甲の部分などに、内藤家の家紋である「下がり藤」が描かれているのもそのためと思われます。鮮やかな縹(はなだ)色や、優美な総体、兜の吹返(ふきかえし)に描かれた蒔絵の獅子など、全体に猛々しさというよりは、颯爽とし、気品ある雰囲気を醸し出しています。さすがは文化的にも洗練された大内氏宿老ならではの逸品なのです。

 

さてこの甲冑ですが、同時に隆元に下された内藤興盛の書状によると、興盛が若い頃、京都船岡山での合戦に着用し、その後も歴戦を共にした優れ物だと記されています。将軍足利義稙を擁して上洛した大内義興が、抵抗する反対派を撃破した船岡山合戦は、大内氏にとっていわば記念碑的な合戦であったようです。本来なら、こうした記念の品は、家宝として、実の子や孫に与えそうなものですが、興盛は、娘の婿となった毛利隆元に与えました。よほど娘を可愛がっていたのか、勃興しつつある毛利家の御曹司である隆元に期待するところが大きかったのか、その理由ははっきりしません。ただ、与えられた隆元もさぞうれしかったのでしょう。この甲冑を大切にしたため、この甲冑は現在に伝えられました。

 

隆元の夫人を通じた毛利氏と内藤氏との連携は、後の防長攻略戦でも効力を発揮し、毛利氏が大大名へと飛躍する契機となったことはよく知られているところです。

第58