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第052回

2011.08.05

毛利家110805これは、陣羽織(じんばおり)といい、よろいなどの上からはおる特別な羽織です。よろいの袖や鎖のついた籠手などを通すため、袖がなく、袖口が広く取ってあります。また、大刀をさしたまま着るため、背の部分が裾から大きくさけているのも特徴の一つです。表地は白地の錦に唐草の文様、背には、毛利家の家紋である「一に三つ星」、腰には同じく毛利家の家紋である「沢瀉(おもだか)」が切付、いわゆるアップリケで描かれています。しかも裏地は金一色、いかにもお殿さまの陣羽織という豪華なことこのうえないいでたちです。

 

この陣羽織は、毛利敬親が、天保十四年(一八四三)に萩郊外の羽賀台(はがのだい)というところで行った大操練の際に着用したものとされています。

 

この演習は、総勢一万を超える藩兵を動員した、長州藩(萩藩)始まって以来の大規模なものだったといいます。それに先立ち敬親が、自筆でこの操練にあたる心得を布告しています。それによると、狩りの名目で行う演習とはいえ、異国船の襲来に備えた実戦さながらの演習なので、旗指物などの装備や人員・馬数などにいたるまで、法令どおりに正確にそろえること、目立つよう華美などにはしるのではなく、あくまでも実戦重視であることなどを求めています。

 

太平の世が続く江戸時代、武士は戦うことから遠ざかっていました。毛利家の家中のうちにも、経済上の理由やそのほかさまざまな理由により、伝来の武具を手放したり、壊れるままに放置していた家が結構あったようです。また、さまざまな机上の軍学は流行しましたが、それを実戦で試す機会は皆無でした。この演習は、こうした武士のありさまを怠惰とみなし、異国船の出没という、太平の眠りを覚ます出来事に対しても機敏に対応し、武士本来の職分である「国を守る」ことを、全藩士にいたるまで真剣に考え、準備させるためのものでした。こうした藩の施策が、後日の藩政にどう影響を与えたのか、興味深いところです。