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第049回

2011.07.15

毛利家110715これは、正親町天皇(おおぎまちてんのう)が毛利元就に与えた「綸旨(りんじ)」です。綸旨とは、天皇の意を受けた秘書官である蔵人(くろうど)が発行する命令書のことですが、この時期には勅(ちょく)に代わり、最も重要な天皇の命令書として用いられていました。

 

写真を見ると、三枚の紙で構成されていることが分かります。一枚目は本文が書かれた本紙、二枚目は何も書かれていない礼紙(らいし)、三枚目が宛名・差出が記された包紙です。礼紙とは、本紙に書き尽くせなかった場合、続きに用いる予備の紙です。この当時の手紙は一般に、本紙一枚にまとめるのが好ましいとされ、礼紙は白紙で添えられることが多かったようです。

 

この綸旨は、江戸時代中期に、保存のため巻物にされました。現状はそのときの巻装によるものです。通常でしたら、巻物をコンパクトにまとめ、費用削減や収納向上に努めるため、白紙の礼紙は破棄し、包紙も文字が書かれている部分を除いては裁断して小さくします。ところが、この綸旨は、ずいぶん贅沢に空白部分も残しているのです。これは、一万通以上ある「毛利家文書」の中でも、見た限りこの綸旨のみに見られる処置のようです。

 

この綸旨は、永禄二年(一五五九)に毛利元就が天皇の即位費用を献上したことを褒め称えたものです。この時元就は、朝倉・三好などの諸大名とは文字どおり桁違いの二千貫という大金を負担し、この即位式を実質的に一人で実現させました。これに対し、本来費用を負担すべき将軍は、元就を相伴衆に任じ、錦直垂を免許するなど、毛利家を大名に昇格させたのです。

 

江戸時代に巻物を作成した担当者は、毛利家にとってこの綸旨を、家の格を押し上げた歴史的偉業の証として、細大漏らさず保存すべき大切な資料だと考えたのでしょう。本来なら破棄する部分すら丹念に保存し貼り継いでいることからは、そうした歴史に対する明確な意識を読み取ることができるのです。