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第048回

2011.07.08

毛利家110708現在毛利家の家系図として定番とされているのは、江戸時代に萩藩主の命令によって編纂された「江氏家譜(ごうしかふ)」です。一方この写真は、江氏家譜編集以前の、たいへん貴重な毛利氏系図です。紙の質や文字の加減、あるいは隆元の名前の裏に、隆元自身が花押を据えていることから、まちがいなく隆元時代には書かれていた系図だと思われます。

 

現在毛利博物館に残されている江氏家譜以前の毛利氏系図は、いくつか残されていますが、そのほとんどはこの系図同様、戦国~江戸初期に記されたものです。残存状況にもよるのかもしれませんが、不思議とこの時期に集中しています。なかには、毛利元就自筆とされるものもありますので、元就・隆元あたりの代々が系図作成を試みたのかもしれません。

 

毛利元就は、大江広元所用の鞭を氏神宮崎八幡宮に奉納したり、大江氏秘伝の軍書を大切にするなど、自らが大江氏の子孫であることを強く意識していました。毛利氏の祖大江広元は、教科書でもおなじみですが、源頼朝の右腕として鎌倉幕府の諸制度を創設したとされる人物です。またこの系図は、大江氏の祖を平城天皇とし、毛利氏が皇孫であることも強調しています。

 

元就以降、萩藩の初代藩主となった秀就にいたる四代は、毛利氏が安芸国の一国人から、実力を蓄え、所領を広げて大名に転身を遂げる時期です。この時期にことさら毛利氏が皇孫であり、武家政権創業時の伝説的人物である大江広元の子孫であることを強調しているのは、毛利氏と同じく国人から出発し、同じく鎌倉御家人としての伝統を誇り、源平など皇孫であることを主張している萩藩士らに対抗するためだったと思われます。

 

すなわち、それぞれに由緒や伝統・格式をもつ藩士に対し、毛利氏が主君にふさわしい血統を有し、彼らの上に立つのは歴史的な必然であり、成り上がりではないことを証明するとともに、彼らの服従と忠節とを確かなものとするのが目的だったと思われるのです。