山口県のフリーペーパー「地域情報新聞 ほっぷ」WEB版

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第047回

2011.07.01

毛利家110701これは、茶の湯を沸かす茶釜です。口の部分が少しすぼまった鶴首と呼ばれるもので、富士山のように優美な姿となっています。また底の部分は、一度壊れたものをつけ直したかのように、本体よりやや小さくなっており、いわゆる尾垂(おだれ)の釜です。口の上部には雷文が描かれるなど、装飾があることはあるのですが、全体としては簡素で古様な印象の釜です。

 

その技法などから、十五・六世紀ごろ、九州の芦屋で作られた古芦屋の釜だと考えられています。おもしろいのは、写真だと見にくいのですが、胴の中心に、毛利家の家紋「一に三つ星」が鋳出されていることです。毛利家が芦屋の鋳物師に特別に注文して作らせたのでしょうか。残念ながらそのあたりの由来は全く解っていません。

 

時代からすると、ちょうど毛利元就の時代に相当しますので、ひょっとしたら元就が使ったものかもしれませんが、残念ながら元就と茶の湯との関わりは全く解っていません。

 

しかし、元就が早くから九州に注目していたことは間違いないようです。厳島合戦の前年、元就の意を受けた長男の隆元は、陶晴賢の後方を牽制するため、肥前国の少弐氏に挙兵を促しています。少弐氏は、長年大内氏との間で北部九州の覇権をかけて争っていた、大宰府の主でしたが、大内義隆の攻勢により、本拠を逐われ肥前に後退していたのです。

 

こうした九州の情勢も、元就はよく知っていたようです。元就が当時並みいる戦国武将のうちでも、相当視野の広い武将であったことはまちがいありません。おそらくそれは、元就が主と仕えた大内氏が、中四国から九州にかけて、広く活動する大大名であったため、元就もまた、毛利家の行く末を安泰に導くため、視野を広げて作戦を練る必要があったのでしょう。それは一見当たり前のように思われますが、現実には難しく、全国的に見渡しても、元就ほど的確に現状を把握し、それに即した作戦を練り、実行できた戦国武将はそう多くはいないのです。