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第043回

2011.06.03

毛利家110603写真のような形の茶碗を、「天目茶碗」といいます。口縁部に真鍮の覆輪が付けられ、全体に黒い釉薬がかけられた、黒く艶のある姿が特徴的です。全体に細かく白い筋のようなものが入り、稲の禾を思わせることから「禾目天目(のぎめてんもく)」とも呼ばれています。

 

納箱の蓋には、「建山天目」と書かれていますが、この茶碗の特徴から、箱書のとおり、十三世紀の中国建窯で焼かれた茶碗だと考えられています。このように中国から渡ってきた茶道具は、「唐物(からもの)」と呼ばれ、茶道を嗜む者の間で珍重されていました。なかでもこのような天目茶碗は、大名家ほどの名家には必須の茶碗だったようです。

 

茶道といえば、千利休と考えがちですが、こうした唐物を重要視する茶の湯そのものは、利休に先立つ室町前期には、「会所の茶の湯」「殿中の茶の湯」として既に成立していました。この茶の湯は、どちらかというと精神面よりも、会所、いわゆるサロンでの交流が重視され、参加するメンバーが所持している舶来品である「唐物」を自慢しあう、そうした側面が強かったためか、利休以後の「侘び茶」にくらべ、俗悪としてあまり高く評価されてはいません。

 

しかし、室町将軍や守護、それに連なる当時の上流武家にとって、いわゆるセレブの会合であるこの茶の湯は、社交の場として、無視できない重要なものだったようです。京都に自らの拠点を置き、早くから将軍に直接奉公して、幕府にも出入りしていた毛利氏もまたその例外ではなく、何らかの形でこれらの茶の湯を嗜んでいたと思われます。

 

残念ながらこの天目茶碗が、その時代に入手されたものかどうかはよくわかりません。また、元就や輝元に先立つ毛利家歴代が、どのように茶の湯に親しんでいたか、資料はほとんどなく、よくわかっていません。当時の人々が何を考え、どのように暮らしていたのか、より詳しくわかるような新資料が、今後発見されることが期待されます。